「日本の英語教育は意味がない」
「日本の英語教育では英語を話せるようにならない」
と言われてしまうことがよくありますが、みなさんはどう思われますか?
私たちは少なくとも6年間は学校で英語を勉強するわけですが、実際に英語を話せるようになっている人は本当にひと握りですよね。
英語を話せるようになることが英語教育の目的であるならば、日本の英語教育には問題点があると言えます。
私は中学・高校や塾、英会話教室など様々な場所で英語の指導に携わってきており、それぞれの場所で感じていた日本の英語教育の問題点を10にまとめてお伝えしていきたいと思います。
目次
英語を話せない英語教師がいる
私は全国の学校の一部の教師しか知らないので一概には言えませんが、英語の発音がカタカナ英語だったり、英語を話せなかったりする教師が本当に多いです。
音声を活用するなど発音がきれいでなくてもネイティブの英語を聞かせる方法はありますが、英語を伝えるというのに英語らしい発音で英語を話せることはスキルとしてやはり必要ですので、英語を話せない教師の授業ではどうしても限界があります。
しかし擁護をすると、教師の仕事は非常に多忙です。
部活が19時頃に終わるため定時もあるようでなく、そこから授業や学級・学年の仕事、委員会活動や部活動などの仕事をして21時22時に帰宅、土日も1日中部活で家に帰れませんからプライベートなどあったものではありません。
そのあるかないかのプライベートの時間から更に自分の勉強を、となると精神的にも体力的にかなり無理があるのが現状です。
それでも教材研究をしたいと勉強会などに出かける熱心な教師が数多くいることもまた事実です。
また、大学などでの教師育成カリキュラムも変わりつつありますが、採用試験の段階でも英語のスキルをもう少し厳密に判断する必要があるのではと思います。
この問題点は、教師の採用や働く体制そのものが変わらなければ何も意味がないのかもしれません。
高校入試や大学入試では読み・書きが重視されている
どんなに学校で英語を話せるようになる授業をしようとも、結局は高校入試や大学入試を目指して勉強しなくてはなりませんので、英語を話せてもあまり意味がないのが現状です。
学校でも話せるような授業をしたくても、文法を理解するなど目先のテストをこなせるような授業を優先させなければならず、英語を話すためには意味がない授業をせざるを得ないことは問題点と言えます。
今、2020年の日本の英語教育の変革に合わせて入試も変わろうとしていますから、今後は変わっていくことを期待しますが、何事もすぐに変わることはできませんので、しばらくはこの状況が続くでしょう。
英語の正確さを求めすぎている
日本の英語教育では、基本的には文法をメインに進めていきます。
文法や読解での正誤問題は丸つけがしやすいためであると言われており、そのような問題でのテストがほとんどです。
そして、教科書に出ている通りの文法や日本語訳でなければ×になってしまうのです。
本来は言葉なのだから様々な言い回しがありますし、長文読解の日本語訳もだいたいのニュアンスをとれていれば良いのではと思いますが、少しでも間違っていれば減点されてしまいます。
いくら定期テストでそうではないテストを作ろうとも、学力テストや入試がそのようなテストなのですから、正確さを求める定期テストを作成するしかないのです。
そういったテストが当たり前になっているので、英語=正しく、間違えられないもの。というようなイメージになってしまっているのが問題点です。
そのような影響から、実際に英語を話す場面でも、正しい文法で話さなきゃ、ということに気を取られすぎて話せなくなってしまうのではないでしょうか。
もちろん、正しい文法を使用することは話す相手には教養として伝わりますから決して意味がないことではないのですが、
英語を学ぶ順序としては、まずは相手に伝わり、相手の言っていることがわかるような会話ができることが大切なのではと思います。
文法指導ですら塾の方が長けている
私が中学生の頃に初めて塾に行ったとき、こんなにわかりやすくおもしろい授業があるのだと、感動したのは今でも忘れられません。
そして自分の学力レベルにあった授業を受けたり問題を解いたりすることは、こんなにも知的好奇心が刺激されておもしろいのだと、本当に勉強が好きになりました。
また、実際に塾の講師として働いた際には、教科指導の研修の多さには驚きました。
模擬授業をし合い、良い点や悪い点を指摘し合い、最後にはベテラン講師がお手本の授業を見せてくれるのです。
文法の指導の仕方や読解の仕方にもある程度マニュアルがあり、誰が授業をしても同レベルの授業が受けられるような仕組みになっています。
授業料を頂いての授業ですから、改善を図るのは当たり前ですが、同じことが学校では行われていないというのは問題点と言えると感じています。
ただし、もちろんそういった研修の少なさや教師の力量にもよるとは思いますが、一概に教師の質が塾の方が良い、という単純な話でもありません。
義務教育である中学では様々な学力の生徒が同じクラスに混在しているため、教師は平均的なレベルを考えて授業をせざるを得ないのです。
学校の授業レベルが高くなれば塾も商売上がったりなのかもしれませんが、塾に通わなければおもしろい授業が受けられないという日本の英語教育の現状にはいかがなものかと感じてしまいます。
英語の教科書の内容がリンクしていない
日本の英語教育で使用されている教科書は文部科学省が検定していますから、本当によく考えられて作られていますが、実際に使用する教師の立場で考えると、実はすごく使用しにくい構成でした。
もちろん英語なので、習ったことの積み重ねで進んでいけるようには構成されていますが、一度出たことがもう一度出てくることはほとんどないのです。
例えば英会話教室のテキストでは、あらかじめ勉強しておいた単語や会話表現が本文で出てきたりテストに出てきたり、CDやDVDも全てリンクして作られています。
何度も形を変えて出てくるわけですから、子供たちにとっては非常に覚えやすい仕組みになっています。
しかし学校の教科書は、会話表現や基本文とユニットごとの例文や本文とが何もリンクしておらず、単語すらもリンクしていないのです。
普通にやると単発に近い授業になってしまいますから、単語を繰り返しできるようにフラッシュカードの使い方を工夫したりテストを自作したりします。
けれども授業時間は決まっていますのでやはり限界があり、これも問題点の一つだと感じます。
教科書をちゃんとやろうとすればするほど、身につく授業、話せるようになる授業ができなくなってしまうのです。
そのような教科書を使用することは意味がないのではと現場は感じていました。
英語教科書の音声がない
もちろん授業内で教師が使用するCDなどの音声はありますが、子供一人ひとりに渡せる音声がないのです。
例えば単語や本文など耳で聞きながら音を確かめて練習していってほしいのですが、音声がないのでそのような宿題を出すこともできません。
授業では音声を聞かせるのにも限界がありますし、繰り返し学習が大切なのにもかかわらずそのような機会を与えてあげられないのです。
これではせっかく作成されたCDの意味がないに等しく、そこも日本の英語教育の問題点なのではと感じます。
CDを聞く機械がない家庭も考えられるので、義務教育で音声を配布するというのは難しいのかもしれませんが、なにか工夫が必要なのではと思っていました。
英会話教室の教材に、CDがついていないことなどないのですから。
授業で英語の発音を教えない
海外の英語圏の子供は英語の発音を学びますが、日本の学校の授業には英語の発音を学ぶ授業がありません。
教師の裁量次第で授業内で発音を教えることはできますが、基本的には発音を教えるような教科書のページはありません。
しかし、なぜかテストには発音やアクセントなどの問題が出るといったことも、問題点ではないでしょうか。
教科書に出てくる単語の横に発音記号が載っているからだとは思いますが、発音をペーパーテストで問うことにはあまり意味がないですよね。
日本の英語教育では、発音自体を学ぶ機会が少なすぎるのではないかと思います。
英語のスピーキングテストがない
出典:https://cafetalk.com/
日本の英語教育の学校のテストには、基本的に英語を話すテストがありません。
もちろん教師の裁量でそのようなテストを作ることができますが、学校内でしか話すテストがないのですから、子供自身も意味がないように思えてしまうのは問題点です。
大学入試に外部試験のスピーキングテストを用いるなどといった改革が進みそうですが、これにもまだ時間はかかりそうですね。
英会話教室と比較すると簡単すぎる小学校や中学校の授業
実は、小学校の外国語活動で行っている内容は、英会話教室で学ぶ内容と比較するとあまりにも簡単です。
というのも、英会話教室に入って幼児や小学校低学年、つまりある程度の年齢になれば1年目に学ぶような内容を、日本の英語教育では小学校高学年で2年かけて行っています。
英会話教室に通っている子にとっては、学校の授業はあまりにも簡単すぎ、意味がないように感じてしまうのではないでしょうか。
実際に英会話教室で働いていたときには、学校の英語の授業は簡単すぎてつまらないという声も聞いたことがあります。
それは中学校に進学してからも同じで、英語を学んできた子にとってはあまりにも基本的なことであり、簡単すぎる内容なのです。
英語を話せる基礎がある子には、読み・書きも難しいことではなく、すんなりと受け入れられます。
英会話教室に通わなければ、早いうちに英語が話せるようになる基礎を身につけることができないというのは問題点であると言えます。
変革後も英語が話せるような授業になっていない?!
これはまだ始まったばかりなので何とも言えませんが、ただ英語学習の始まる年齢が早まっただけで、全体の学習内容自体はそんなに変化がなく意味がないのではないかと言われることもあります。
つまり、英語学習が餅を薄く伸ばすように小3からになっただけなのではないかということです。
それにより、例えば今まで高1で学習していたことを中2で学習することになっていたとしたら、適切な方法での英語学習の基礎がない子供たちにとっては、ただただ負担がかかるようになっただけではないかという問題点もあります。
低年齢化する=話せるようになるという単純な話ではないからです。
早いうちから始めることはもちろん良いことなのですが、それと一緒に学習内容をより英語を話せる目的に合わせて変化させていく必要があるのではないでしょうか。
参考記事:2020年から始まる英語教育改革って何? いつから始まる? 何が変わるの?
日本の英語教育のこれからに期待
さて、日本の英語教育の10の問題点をお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
日本の英語教育は決して意味がないわけではありません。
英語の読み・書きのスキルは必要な教養ですし、逆に言えば海外では英語を話せても読み・書きはできないという方もいるくらいです。
しかし、読み・書きができるのに英語が話せないという方はなかなかおらず、そのようなパターンの多い日本人はある意味特殊です。
6年も英語を勉強したというのに、ほぼ英語を話すことができないというのは、悲しいですよね。
それは、6年もサッカーを習い続けているのに、ほぼボールを蹴ることができないのと同じようなものです。
サッカーボールを蹴るための理論を正しく説明できるようになる前に、まずはボールを蹴ってみる練習をたくさんできるような学習に、日本の英語教育が変化していくことを願っています。